2016/2/19
サンパウロには日本人街「リベルタージ」があります。
予想以上に日本っぽい雰囲気が漂っていて驚きました。
日本食材を扱う店、日本食レストラン、書店、仏具等を扱う店が並び
日本語表示もたくさんありました。
日本食材の種類が半端ないんですよ。
味噌汁やカレーだけではありません。
ゴマ油、そうめん、サッポロ一番、とんかつソース、お菓子、飴など
半年ぶりに見るものばかりに興奮し、独り言が増えてしまいます。
「この餅やわらか!」
「弁当も本格的じゃん。あー、おにぎりもあるやん。」
欲しい物はばかりですが、既にパラグアイでハヤシライスの元
ゴールデンカレー、そして米まで買っているのですよ・・・
悩んだ末、日清焼きそばと高菜&鮭ふりかけを購入しました。
「焼きそばはサンパウロで食べるし、ふりかけは軽いし。」
「いいよね、これくらい。」と自分に語りかけながら。
このエリアの信号もかわいいんです。
ちょうちんでしょ。
こっちは鳥居。
リベルタージ近くの「カテドラル・メトロポリターナ」前は教会。
日本人移民の歴史について学べる「ブラジル日本移民資料館」も同エリアにあります。
日本語の解説と共に、写真、書物、新聞などが展示されています。
ブラジルへの第1回契約移民781名を乗せた「笠戸丸」の写真です。
1908年。ここから日本人移民の歴史が始まりました。
船の旅は太平洋を越えてパナマ運河経由だと45日、
インド洋からケープタウン周りだと60日という長旅でした。
国は移民希望者を募る際にブラジルでの高待遇を宣伝しており、
移民の殆どは数年間契約労働者として働き金を貯めて帰国するつもりでいました。
しかし奴隷解放以降、奴隷に変わっての働き手なので、待遇は奴隷の様なものでした。
ラッパで目覚めラッパで終わる休み無き生活、監視下で働き続け、
ロクな食べ物もなく、マラリアや他の病気で死亡する人が多くいました。
しかし!!!ここからが日本人の素晴らしい所なんです。
10年経たぬ内に、日経労働組合を作っちゃうんです。
共同で畑を購入し、果物や野菜を独自に栽培し始めたのです。
だだっ広い土地を切り開くだけの白人に対し、集約農業で狭い土地を生かす日本人。
コーヒー価格暴落も手伝い、日本人社会を確立していくのです。
第二次世界大戦時は、迫害を受け辛い時期もありました。
日本語学校の閉鎖や、日本語新聞発行禁止令なども出されました。
終戦後は「日本は勝った!と信じる者」VS「負けを受け入れた者」
日本人同士の小競り合いもありましたが、
これらの苦悩を乗り越え現在に至ります。
現在スーパーで見かける、もも、柿、ぽんかん、ぶどうは
日本人が品種を導入し品種改良を加えたものです。
また養鶏技術を持ち込んだのも日本人で、現在も7割は日系の手にあるんだって。
さすが!日出る国の民は、どこへ行っても第3等じゃ終われないんだよ。
昔の人・・・って言っても、たった数十年から百年くらい前でしょ
本来我々は強く人の為に働ける民度の高い種族なんです。
だから大東亜戦争で釘を打たれてしまったと私は思っています。
同じ奴隷扱いからのスタートだけど、アフリカンには到底出来ない所業だものね。
ペルー/リマでも感じましたが、
※過去の記事も合わせてどうぞ→ベタだけど日本人の強さはここにある:リマ日秘文化会館
ここサンパウロでも、日本人の強さがひしひしと感じられました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

同じ日本人と思うと鼻が高くなるね~
今の日本人…わたしとかじゃ無理だから尊敬するわ
野菜や果物を品種改良でおいしくしてるのも大半日本でしょ
てか最近は行き過ぎムードも感じてるけど
あいこちゃん
まーねー。
日本は上を上を目指す民族だから、どうしてもやり過ぎちゃう一面もありますね。
海外で不便な生活してると、日本の潔癖・快適を追い求める異常さが感じられます。
地球の裏側でもみんな「日本」を知ってる。小国なのに。
アニメ・電化製品・車・カメラ・・・スゴイよねぇ~
反対に私なんて、中南米の国なんて出発するまで知らなかったもんな。