旅順観光は体力勝負!日俄監獄旧址博物館、二百三高地、白玉山

2017/10/21

日露戦争の激戦区であった旅順へ行ってきました。

大連から公共交通機関で行こうとすると

ノンストップバスや電車を使っても1時間程かかります。

また、見どころが山であること、バス停があるだけ詐欺等も重なり

要所を周るのに2日かかりました。

 

旅順の交通機関が集まっている場所を示しておきます。

※グーグルは鉄道拡張が追い付いていないので、百度かsogouで検索!

はじめ鶏冠山へ行こうと地鉄12号機を利用。

旅順の一つ手前の塔河湾で降りバスで向かうつもりでしたが

1時間以上待ってもバスは来ませんでした。

バス停はあるんですよ!バス停があるだけ詐欺です。

結果、意図しないノンストップバスに拾われて鶏冠山スルーという事態に。

経路的にロスがあっても、一旦旅順まで行ってしまった方が賢明です。

辺鄙な所ではタクシーも通らないしお手上げ。

 

気を取り直して日俄監獄旧址博物館へ行ってみましょう。

日露戦争勝利後、建設中だった建物を日本が接収し増設。

犯罪人や反日抵抗者を収監していました。

日本は赤レンガ、ロシアが青白いレンガを材料とした為

施行部がハッキリと分かります。

罪人の中で最も有名なのが、伊藤博文を暗殺した韓国人・安重根でしょう。

看守室隣の部屋に144日間投獄され、絞首刑に処されました。

部屋(写真左)は広く、ベッド、机などを置いても余裕の広さで窓付。

ここでは英雄扱いされている様で、

キレイなパネル付きで広く特設コーナーが設けられていました。

一方日本軍の説明はというと・・・白黒のぼんやりした写真のみ。

兵器もただ並べられているだけといった印象です。

まぁ、こういう事なんでしょうね。はい。

しーんとした通路

拷問室にも「日本軍にめちゃくちゃやられました証言」だけあり。

うん、そういう事なんでしょう。

これらも気分が良いものではありませんけど

絞首刑場の空気は数段違っていました。

写真を見直しただけでも腸のあたりがぞわぞわします。

現在は完全に観光化され、騒がしいですが

高い塀と看守塔や

囚人を番号で管理していたであろう表札を見ると

あぁ、ここは刑務所だったんだな・・・と改めて感じるのでした。

 

次は二百三高地へ向かいました。

高地というだけあって、ずっと上り坂できついです。

こーんな似非ドラえもんやPSYが描かれた道路を通って

30分以上歩いたと思います・・・

ツアーで来てる人はいいですよ、かなり上まで車で行けますからね。

日本人のツアー客がたくさん来ていました。

ガイドさんの話を盗み聞きして、旅順港の方角を確認・・・

遠っ!

かすんでいてよく見えません。

現在は木が茂っていますが、当時ははげ山だったので

塹壕に隠れたロシア軍の射撃は猛烈だった事でしょう。

銃弾が飛ぶ中をただ突撃するという作戦とも言えない作戦で

1万7千人の犠牲を払い、やっとこの地を得たのでした。

 

しかしこの犠牲、払わなくても良かったって言うのが悲しい。

総攻撃命令が下された明治37年11月27日以前に

陸軍は南山からの攻撃により、既に旅順艦隊を無能力化させていたのです。

戦艦4隻撃破に伴い、水兵や弾薬も陸揚げされていたという事実がありました。

しかし、海軍と大本営は司令官乃木希典の報告を信用しません。

「早く二百三高地を獲れ!確実に旅順艦隊を壊滅させよ!」の一点張り。

多大な犠牲が予測される為、乃木は大本営の要請を何度も黙殺しています。

そんな中、明治天皇からの勅諭とあっては無視できず

やむなく総攻撃命令が下されたのでした。

 

陸軍と海軍の仲の悪さ・・・それなー。

丁字戦法を立案し、作戦を兵員全員に完全に理解させ

危機に直面した時には各自の判断に任せるという事を徹底した参謀秋山真之。

バルチック艦隊を破った司令長官東郷平八郎は、勝者として派手じゃん。

彼らは他国でも英雄扱いされていますね。

でも、忘れちゃいかんのは陸軍の力です。

陸軍の犠牲あっての勝利です。

 

日本は色んな所に慰霊碑を立てています。

旅順港を見下ろす場所に位置する白玉山にも行ってみました。

本日二つ目の山という事もあり、足がふらふらです。

こんな怪しい山道をひたすら上りました。

日本軍の足取りをたどるという意味で、あえて足を使ってますが

リフトや車でサクっと行く事もできますよー。

旅順港には現在中国軍の戦艦が駐在しています。

日本軍の建てた慰霊碑は全て日本の方角を向いています。

皆さま、安らかに。

というところで、夕暮れ時です。タイムアウト。

鶏冠山、旅順博物館などがある文化街には行けませんでした。

経路選択ミスで時間をロスしたのもありますが、

山は時間がかかりますね・・・。

 

2009年より外国人が入れる様になった旅順。

今も昔も軍事的な拠点であるので、何だかピリリとした一日でした。

明日もまた来ます。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。



旅順観光は体力勝負!日俄監獄旧址博物館、二百三高地、白玉山」への2件のフィードバック

  1. takako 投稿作成者

    amamatsushizuokaさん

    ブログ訪問&コメントありがとうございます。
    一般囚人の部屋よりも数段広くて驚きました。

    写真の件OKです。
    記事ができたら是非URL教えて下さい。
    歴史好きな人のお話は興味深いと思うので、こちらからもブログ訪問いたします。

    返信
  2. takako 投稿作成者

    ブログ拝見しました。
    興味深い記事ばかりですね( ^ω^ )
    プロフが見当たらなかったので、どんな方なのか妄想しちゃいました。
    それでは、また。

    返信

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