ナヴォイ劇場 日本兵がウズベキスタンに残したもの:タシケント

2018/5/8 1USD=8070スム

1956~1946年の間シベリアから中央アジアへ

ソ連軍により日本兵が約二万五千人移送されました。

捕虜となった彼らの建てたナヴォイ劇場を見る為

そして彼らの墓前で手を合わせる為

ウズベキスタンへとやって来ました。

 

日本軍捕虜の建てたナヴォイ劇場は今も現役です。

外観に派手さはないものの、どっしりとした存在感のある建物。

入口はイスラム教を感じさせるデザインかな。

演劇が行われていない時は扉が固く閉ざされていますので

中に入りたいばっかりにバレエのチケットを購入しました。

オペラやバレエの演目がほぼ毎日開催されており

一階席が500,000~300,000スム、二階席は200,000スムでした。

演目と言うよりは劇場全体の雰囲気を感じたかったので

二階席の一番前の席を購入。

内部の装飾やデザインには気品がありました。

わーん、素敵。

一階席はほぼ埋まっていましたが、二階席はガラガラ・・・。

一回を見下ろすとオペラ鑑賞用の外出着で来ているご婦人が目立ちます。

私だって持ってれば正装で来たかったわー。

二階席は私の様にTシャツとリュックで来ている観光客もいて

ま、こっちの席にして良かったかな。

 

「ねぇねぇ知ってる?これ日本人が建てたんだよ」

満州で捕虜となった日本兵たちは、シベリア鉄道に乗せられこの地へ連行されました。

ダムや道路建設、水力発電所の任務とは別に、劇場建設を担当した人たちは

各分野のスペシャリストでした。

土木作業にはじまり、床張り、測量設計、とび職、外壁造り

鉄筋鉄骨工事、そして電気配線や溶接、彫刻技術に至るまで様々。

どんな状況下であってもキッチリ仕事をするという職人根性

生真面目な日本人気質もあったのでしょう

彼らの技術によって建てられたナヴォイ劇場は

1966年4月の大地震の際に無傷であった事実は有名です。

周りの建物が倒壊する中、避難所として機能しました。

こんな蘊蓄を周りの人にしたい衝動にかられつつ

誇らしげな気持ちでバレエを鑑賞しました。

 

中には「日本軍がやって来た時には既に完成していて、やったのは仕上げだけだ」なんて

難癖付けてる奴もいるそうですが、私は信じませんよ。

 

劇場の北側に石碑が埋め込まれています。

彼らは確かに捕虜として連れて来られましたが

ウズベキスタンが捕虜にとったわけでは無いから

「捕虜」という言葉は決して使うな!

ということで「日本国民」という言葉が使われています。

当時この指示を出したイスラム・カリモフ大統領は

幼少の頃、日本人が懸命に作業をする姿を見ていたのです。

カリモフ大統領が麻生太郎氏に語った内容には涙が出ました。

 

毎週末、母親が日本人捕虜収容所へ連れて行き

いつも同じことを言った。

~倅、ご覧。あの日本人の兵隊さんを。

ロシアの兵隊が見ていなくても働く。

人が見なくても働く。

お前も大きくなったら、必ず人が見なくても働く様な人間におなり~と。

母親の言いつけを守り、お陰で今日私は大統領になる事ができた。

 

世界一周していると「この国は親日家だ」なんて話をよくします。

しかし、何故親日なのか?

この国の政府は大東亜戦争をどうとらえているのか?

私は気になって仕方がないですね。

まぁ、当の日本人が無関心で、太平洋戦争なんて言葉を使ってるのは

嘆かわしい限りですが・・・

タシケントにある日本人墓地も、カガンにある日本人墓地も

たいへんひっそりとしていました。

GWであんなにたくさんの日本人がウズベキスタンに来ているのに!

 

特にカガン墓地は荒野の真ん中にぽつんとあり殺風景。

周りにはドイツ人やロシア人のお墓もありました。

広大な敷地に乱立する十字架。

重苦しい空気が漂う場所でした。

 

一方、タシケント市内のモスク付近にある日本人墓地は

周りをウズベク人のお墓に囲まれていて緑豊か。

さすが首都。

カガン、タシケント共にお世話をしてくれている方々により

きちんと管理、手入れされている印象を受けました。

 

名前と出身県が書かれた石碑の前で

祖国の地を踏むことなく死んでいった

若い兵士たちを思い静かに手を合わせました。

何かお供え物を持って来れば良かったかな。

何も持っていなかったので、日本の墓参り時にやる様に

ペットボトルの水を石碑の頭からかけていると・・・

 

係員に怒られました。

 

あなた達の働く姿は、戦後の日本と中央アジアの関係を築く

大きな懸け橋となりました。

安らかに。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。



ナヴォイ劇場 日本兵がウズベキスタンに残したもの:タシケント」への6件のフィードバック

  1. 猫はワンワン

    「水をかけてくれて有難う」ってきっと感謝されてますよ。
    ありがとう
    ブログ更新いつも楽しみにしてます、体には気を付けて!!

    返信
    1. takako 投稿作成者

      林さん

      コメントありがとうございます。

      日本式の墓参りはウズベキスタンではNGでしたが(;’∀’)
      気持ちは伝わっていると思います!

      また気軽にコメント下さいね☆

  2. 大野栄一

    ウズベキスタン大使を勤めた中山さん(大蔵省OB)が、ウズベキスタンを宣伝するために麻生太郎とつるんでやった国会の質疑応答が原典だったのですね!この話は、通産省(経産省)の後輩の加藤君(数年前までウズベキスタン大使を務めていた)からも聞いたことがあります。因みに私は、元通産省の役人でした。貴子さんの知識の広さには圧倒されます!

    返信
    1. takako 投稿作成者

      大野さん

      そうでしたか!(*’▽’)
      遠い所でつながっていましたね。

      旅先では本を読むのが面倒なので、youtubeで色々調べたりもしています。

コメントを残す