天人五衰のイメージここにあり:アジャンタ石窟寺院

2018/2/7

三島由紀夫の遺作である「豊饒の海」四部作。

その三部〜四部にかけてインドが登場し

アジャンタ石窟寺院の描写もあります。

彼の永遠のテーマである美しさと死、

遺作最終章となった世界観がここにありました。

 

オーランガーバードからローカルバスで2時間半。

降車場からシャトルバスに乗り換えます。

途中の土産屋で呼び止められ、ガイドの勧誘を断りながら

入口に着くまでに3時間程かかりました。

「一人で行っても、何も分からないでしょ。」としつこい自称ガイド。

別に知りたいわけじゃないんだよね。

三島が何を感じたか妄想したいだけなんだよ。

 

アジャンタ石窟寺院はかなりの観光地。

外国人グループや、社会見学の子供たちも来ていて

彼らと重なるとかなり騒々しくなります。

 

そして一番の見どころである壁画は・・・

暗くてあまり見えませんでした。

妖艶な雰囲気があるとも言えます。

天井が波打ってるのは計算されて作られているとか

仏像ができる前はストゥーパが崇拝対象だったとか

英国人発見者の落書きがある等

日本人グループのガイドさんの声が聞こえてきます。

 

ところどころ残っている壁画は

正直あまり心に響きませんでした。

もっと「おおーー!」となるかと思っていたのに。

ビューティフル、確かにそうなんだけど。

人間が入り過ぎて神聖感が薄らいでしまってる気がします。

 

遺跡スタッフさんは親切で、たまに奥へのロープを取ってくれて

「中に入ってもいいよ」と言ってくれます。

すると、中の空気って違うんですよね。

何か別のテリトリーに進入してしまった様な。

 

でも調子に乗ってインド人が来ると、

ささっとロープを張り追っ払うスタッフさんたち。

物売りも外国人には笑顔で無理やり石等を手に取らせてくるのに

インド人が触ろうもんなら「触るな」と取り上げる。

なぜ?

商売にならないから?

じゃあ遺跡スタッフはの行動は?

インド人って微笑みは静かだけど、感情的だなぁと思います。

すぐ顔に出すし、すぐ大声出して言い争いもします。

 

そんな他事を考えながら、壁画もそこそこに

靴を揃える日本人観光客のマナーの良さに感心しながら

一番奥の26番までやってきました。

 

ここまで淡々と来ちゃったなぁ、最後か。

アジャンタ石窟寺院には彫りかけの洞窟も多々ありますが

この26寺院が完成している石窟の中では一番新しいとされています。

とりあえず入ってみましょう。

 

おおーー。

ここまで不完全燃焼だったのが、最後で一転!

ちょっと空気感と完成度が違います。

 

他の洞窟ががらんとした印象に対して、造りが細かく

ストゥーパの周りに回廊があり、ぐるりと彫刻が施されています。

時計回りに歩いて行って、ストゥーパのカーブを周った辺りから出口にかけて

ここの雰囲気が正に「天人五衰」のワンシーンと重なりました。

 

偽物の生まれ変わりである透が自害に失敗した後

目が見えなくなり、腋窩臭がし、汚れた衣姿で

完璧に醜い絹江のくだらない話を聞いている。

 

私はこのシーンで、天人が透の周りを自由に飛び回り

俗世間から遠ざかっていく・・・

そんなイメージを思い描いていたんですよね。

説明によると、これらのレリーフは

修行中のシッダールタを邪魔する魔王や

色気で誘惑する魔王の娘たちらしいですが。

そんな説明なんてどうでもいい。

私の中では天人です。

透の周りを飛び回っている天人です。

三島はここで何かを感じ取ったと思う。

叶わない恋をして、理想と時代とのギャップに苦しみ、老いの恐怖を経験し、無に帰する。

四部作の集大成である最後の部分に

アジャンタでここまでリンクするとは!感激です。

時空を超えて思想でつながるなんて・・・

なんて素敵なんでしょう。

 

静かに死を待つ生きた屍である透、でも不思議と汚くない。

死を静かで落ち着いたものとして美しく描く

三島由紀夫の頭の中にはこんな情景が浮かんでいたのかもしれないなぁ。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。



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